シェンムー横須賀場所事典

シェンムー1章横須賀場所事典

『シェンムーパスポート』のシェンムーワールドに書かれた情報をメインに個人的解説を交え最終的に完全な物にしたいと思っています。
 シェンムー人事典と併せて御利用されると、より一層深く楽しめると思いますのでどうぞご覧下さい。
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芭月家
 山の瀬の高台に位置し、住宅地とは小さな林を隔てているのでだいぶ閑静としている。門構えといい、広大な敷地といい、他の住宅にはない風格と歴史の重みを感じさせている。しっかりとしたヒノキやスギで建てられた昔ながらの家で、築100年以上経過しているがいまだ屋根や瓦の補修を必要としないほど、その耐久性は高く、古き良き時代の建築技術をしのばせる。
母屋
 もともとは住職の途絶えたお寺を譲り受けたもので、格式ある古風な造りとなっている。立派な門構えも寺だった頃の名残である。中の部屋も、最初はすべて障子とふすまのみで仕切られていたのが、現在、部屋のいくつかはドアに改修されている。芭月家の敷地は、もとがお寺だっただけにかなり広く、庭には池が掘られ、堀の周囲にはさまざまな植物が植えられている。
道場
 住職の許しを得て、本堂を改築し、道場として使い始めたのは、巌から数えて四代目の先祖にまでさかのぼる。道場自体は、しっかりとした良質のスギをふんだんに使っているため、かなり頑丈な造りとなっている。  内部は古風な造りになっており、道場内には電気が引かれていない。明かりはローソクのみである。これは古くから古武術で伝えられてきた闇稽古(最初は薄明かりから始め、徐々に室内を暗くしていき、やがては暗闇の中でも、相手の気配のみを察知して闘えるようになる練習)などを行うためである。
 樹齢200年を超える見事な大木。現在でも春には花を咲かせ、毎年芭月家の人々の目を楽しませている。涼も幼いころ、この桜の木の下で父・巌から武術を教わることもあった。(イベントシーンあり)
 芭月家がお寺だったころからある池で、錦鯉が何匹か飼われている。風雅を好んだ昔の造りらしく、鹿威し(ししおどし)が設置されており、風情のある音色を響かせている。
 歴史を感じさせる立派な門構えである。何度か補修工事はしたものの、大部分は建築当初のものであり、気品と風格をたたえている。かつては芭月武館と書かれた看板(字は巌が書いた)が掲げられていたが、藍帝に砕かれたあとはまだ修復していない。
 門の前にはいつも茶色のトラ猫が座っている。
玄関
 整然とした清楚な玄関である。稲が毎日、掃除しているので、靴などが乱雑に放り出されていることはない。電話などもここに設置されており、万が一の時のために懐中電灯も用意されている。
 涼がお小遣いを毎日受け取るのもここ。受け取った後、封筒だけ返しているのかな?
涼の部屋
 同世代の部屋に比べ、ポスターや華美な装飾がないのは、やはり質実を好む性格ゆえであろう。本棚には、高校生らしく教科書や参考書が並んでいるが、格闘系雑誌の類も少なくない。父・巌の教育と、稲のしつけのおかげで、整理整頓はいきとどいている。押し入れの中には、巌に黙って出場したいくつかの武術大会のトロフィーが眠っている。
客間
 芭月家で唯一、ソファーの置かれている部屋であり、来客はここへ通される。ソファー以外に調度品は少なく、あとは本棚に書籍が並べられているぐらいである。押し入れの中は物置としても使われており、いくつかの段ボール箱と雑誌などが整理して置かれている。
 部屋にストーブはあるけれど、居間に比べとても寒々とした印象を受ける。
福原の部屋
 住み込み弟子である福原の部屋は、師である巌の部屋に似て、調度品はかなり質素である。本棚の中身は週刊誌や雑誌の類が多い。巌の影響を受け、武術書を読んだり、書道に打ち込んだりするが、実際はマンガを読んだり、居眠りをしていることが大半である。ちなみに壁の「明鏡止水」の額縁は、巌に書いてもらったものである。
稲の部屋
 誠実で、飾り気のない稲の性格を思わせるような質素な部屋である。鏡台とタンスは稲が実家から持ってきたもので、15年以上愛用している。稲が唯一、集めているのが昔ながらの古風なクシで、10個近くのクシがタンスの引き出しに大事にしまってある。
居間
 テレビとコタツ(春になるとコタツ布団がとられ普通のテーブルになる)が置かれ、芭月家で団らんをとれる唯一の部屋である。コタツの上には稲の心配りで、ビタミンCをとって風邪にかからないよう、冬場は常時ミカンが用意されている。芭月家ではあまりテレビを見る人がいないため、テレビは買い換えずに古いタイプのままである。あのサターンはRF接続なのか!?
台所
 芭月家の住人がそろって食事をする場である。むろん台所を仕切っているのは唯一の女性である稲で、食器や食材はもとより、調味料などの小物もきれいに片づけられている。
 巌が死んでからは毎朝同じメニューしか作らなくなってしまった。
仏間
 仏壇の置かれている部屋であり、仏壇には今は亡き巌と涼の母親の位牌が置かれている。稲が毎日掃除をしているので、室内は清楚である。かつては涼、巌、福原、稲の四人がこの部屋に集まって、談話をすることも多かったため、座布団が常に四つ用意されている。ここで毎朝供養の線香をあげることが、稲の日課になっている。8時半に起きてすぐここに来るとそれを見る事が可能
巌の部屋
 和机と本棚だけの簡素な部屋であるが、質素ながらも落ち着いたたたずまいを見せており、巌の人柄を思わせる。稽古の時以外は、この部屋こもり、読書をしたり、書道にいそしんだりしていることが多い。床の間にある「泰然自若」の掛け軸は、当時、血気盛んだった巌に対し、書道の師が贈ったものである。
地下室
 元はお寺の宝物殿だったらしく、蔵書や経本が納められていた。巌だけが先代より、その存在を知らされていたらしく、家族にすら秘密にされていた。地下室の中には、巌が各地を歩き回り、武者修業をしていた時代の品々が封印されている。
 さすがに、壊れた扇風機や穴の開いたグラスをしまう場所ではないらしい。

山の瀬
 元々、ここは小さな山だった。頂上にお寺、中腹に神社があるだけだったのが、戦後、宅地化が進み、民家が立ち並ぶようになった。しかし、ほんの1歩、道をそれるだけで、今なお奥深い森の姿を見ることができる。かつてはキツネやタヌキなどの小動物が多くいて、それらにまつわる伝説も少なくないが、今では、あまり姿を見かけることはない。
桜田邸
 涼の同級生である、桜田伊知郎の自宅。昭和初期に建てられて以来、部分的に改築や増築を繰り返している。しかし最近、痛みが激しくなってきたため、建て直しを考えているらしい。桜田邸が留守がちなのは、彼の両親が共稼ぎに出ているためである。幼いころより、ともに通園・通学していた涼と桜田は、よく、桜田邸へ続く階段の上で待ち合わせをした。しかし、桜田が時間どおりに現れることはなく、毎朝、定刻になると、のんびり屋の彼を呼ぶ涼の声が響き渡った。その声は、周囲の住人たちの目覚まし代わりになっていたという。
山の瀬稲荷神社
 昔、山の瀬に棲んでいたという白い狐をまつった神社で『山の瀬のお稲荷さん』と呼ばれ、地元住民に親しまれている。この白い狐は桜ヶ丘の桜を愛し、桜を大切にする者には幸せになる風を、桜を傷つける者には不幸をもたらす風を送ったという伝説がある。今も幸福を願う住人達が、伝説の白い狐を拝みに訪れる。
 涼や三島めぐみ達で猫を飼っている場所。
山の瀬荘
 稲荷神社の向かいにある、非常に古いタイプのアパート。
 四世帯が住めるが、あまり広い部屋ではなさそう。1階に「佐藤」「北沢」2階に「森野」「臼井」と表札がある。高い所からの風景を見ようとしても階段から2階にかけて張り巡らされたトタンがそれを遮る。

桜ヶ丘
 古くから桜の名所で知られている。住宅が立ち並ぶ前は山全体が桜でおおわれていたことから、この名前がついた。今も随所に桜の木が残されており、春のおとずれとともに住人たちの目を楽しませてくれる。
阿部商店
 地元の子供たち御用達の駄菓子屋。多種の自動販売機を完備、但し「ハラロン」のは壊れている。
 75歳の老婆・阿部節が一人で店を切り盛りしている。阿部を慕う子供たちでかつて店はいつもあふれかえっていた。しかしここ数年、年をとってひがみっぽくなったと、近所でも評判の阿部を敬遠してか、子供たちの足も遠のいている。
 ユカワのイカ足パックやサラミ、ここでしか買えない商品も多く、くじの景品もオリジナル要素のあるものばかり。。
[9:00〜19:00]
桜ヶ丘公園
 桜ヶ丘を宅地造成する際、かつて山の中腹の広場として、山登りの人々の憩いの場だった地が、そのまま公園として残された。今では知る人ぞ知る桜ヶ丘随一の花見の名所である。子供たちの遊び場、主婦たちの井戸端会議の場、老人たちの憩いの場として、いつもにぎわっている。
 山岸さんや、三島まゆみちゃん、平野君などが人がよく来る。誰もいない時は修行可能。
 望との大きなイベントの場所でもあり、印象も深い。
山岸邸
 山岸の家は、桜ヶ丘では阿部商店の建物に次いで古い。敷地いっぱいに建てている家が多い桜ヶ丘の中では唯一、庭付きである。庭で古武術の鍛練をしたかった山岸が、妻の反対を押し切り、部屋数を1つ減らして作らせたという。しかしそのおかげで山岸の部屋がなくなり、昔はいろいろ不便もあったらしい。子供たちが独立し、妻に先立たれ、一人暮らしをするようになった山岸は、家が狭いと嘆いた昔を懐かしみながら、今日も縁側でヒマをつぶしている。
住谷邸
 長男・浩太郎の誕生を機に、それまでドブ板のコーポつくしに住んでいた住谷夫妻が新築を30年ローンで購入した。現在、浩太郎は11才で、まだあと20年近くローンが残っている。きれい好きの住谷なつきの手入れが行き届いており、築11年よりも新しく見える。桜ヶ丘の外れに位置することから、日当たりはよいが、坂を上る苦労が、一家の悩みの種である。
工事現場
 横須賀市郊外の市営住宅に住む滝本一家が土地を購入、一戸建てを建設中だったが、滝本の妻が小学生の子供2人を連れて、浮気相手の妻子ある男性と駆け落ちしてしまった。この騒動のため、一時期工事は中断していたが、11月から再開された。それでも間取りなどに大きな変更が出たため今も設計から練り直しが続いている。わがままばかり言う施主の滝本に、現場監督の坂本は頭が痛い。

ドブ板
商店街
 昔、この通りに流れていたドブに、いくつもの板の橋がかかっていたことから、ドブ板と呼ばれるようになった。今ではその面影はないが、横須賀の名物商店街として、地元のみならず遠方から観光で訪れる客も多い。地元の住人の食生活をまかなう魚屋や八百屋から、横須賀ならではのスカジャン専門店、近くの米軍基地の放出品を扱うミリタリーショップなど、いろいろな商店が軒をつらねている。
歓楽街
 ドブ板は昼と夜では全く違う表情をみせる。夜のドブ板の主役は、どこからともなく集まる外人たちである。とくに船員が多く、彼らを目当てにする若い女たち、あやしげな商品を売買する商売人たちもまた多い。バー、スナック、パブなど店もさまざまだが、地元民の御用達、船員達の御用達など、おのずと住み分けができている。
アパート通り
 ドブ板商店街の店の多くは1階が店舗、2階を住居とする個人商店だが、新しくできた店には貸店舗で営業しているものも多い。店員、アルバイトも増え、彼らのためのアパートがドブ板の裏通りに林立するようになった。ドブ板の銭湯『亀の湯』が廃業した7年前頃から改築が進み、今はどこも風呂つきのアパートになっているが、その分、家賃も高くなっている。
平田商店
 国道16号線にあるたばこ屋。ただ、店先はドブ板側しか向いていない。創業はドブ板でも5本の指に入るほど古い店であるが、一度火事で焼けているため、店自体はさほど古くない。現在の店主である平田はるがここに嫁入りしてきた当初は、その美貌(今のはるかからは想像もつかないが、かつてはドブ板小町と呼ばれていた)に客が殺到し、店も繁盛していた。ドブ板の入り口にあり、また電話の置いてある店(当時、電話は貴重だった)として重宝され、今でも店頭に置かれている電話はその名残である。
[7:00〜18:30]
スマイリー
 駐車場前の花屋。アルバイトながら看板娘にして、ほとんど店主のような菊池優理子が店を切り盛りしている。元々、ドブ板には老舗の花屋「アイダ」があったが「バアさん1人の店じゃ長くは持つまい」と考えたスマイリーの店主・根本純一郎(32歳)が、ドブ板通りの入口に出店した。しかしアイダには望、スマイリーには優理子と、それぞれに看板娘が店に立つようになったことで、結果的にドブ板の花需要の掘り起こしに成功し、今は2店がうまく共存している。
[7:00〜18:30]
理容マエダ
 ドブ板には2軒の理髪店があるが、理容マエダは開業50年の歴史を持つ。店主の前田は「男は短髪」の姿勢をくずさず、長髪の客が来ても怒って追い返してしまう。そのため、客足は遠のくばかりだが、本人はいっこうに気にしてはいない。娘のミキは、そんな経営状態を心配し、方針を変えて美容室にしようと提案している。だが、前田は受け入れず、今日もガラガラの店内で新聞を読んでいる。
[10:00〜18:00]
ゲームセンターYOU
 3年前、店長の仁藤雄司が、自分の名前の一文字を取り「YOU」と名づけて開店。以来、子供から大人まで多くのプレイヤーたちが、ハイスコアを取るべく、しのぎをけずっている。店長がゲーム事情にうといため、最新のゲームマシンは、なかなか入荷されない。客からのリクエストを受けてから数週間後に、ようやく導入されるという状況である。それでも客達は足しげく通い日夜、ハイスコアを目指して戦っている。
 いい結果を出すと「やるなあ、兄ちゃん」とお言葉が掛かる。
[10:00〜24:00]
やま路
 主人の明田川進がこだわりのそばを打つ老舗。「やま路」は天保年間から続く150年の歴史ある屋号で、ここドブ板の他にも関東一円に、同じのれんをかかげる店が20軒ほどあるという。明田川の店は今年で開店30年になるが、立ち食いそば屋、駅前のレストラン街などライバルは多く、決して経営は楽でない。今や古くからのなじみ客、常連に支えられている。
[11:00〜21:00]
すずめ公園
 20年ほど前まで古い家が建っていたが、老朽化で取り壊されたおり、地主の厚意で公園になった。「すずめ公園」の名前はドブ板商店街が広く名前を公募し、当時、小学生だった青木基幸少年(現・バーガーショップ・ファニーベア店長)のアイデアが採用された。しかし、そのことを覚えている者は意外と少ない。
タムラ精肉店
 タムさんこと田村宏の精肉店。元は田村の父親が焼き鳥屋を営んでいたのだが、代替わりを機に精肉店へと発展させたのである。田村が不器用でうまく鳥を焼けない上に、秘伝のタレの仕込みを面倒がったからというのが真相らしい。店自体はいわゆる普通の肉屋なので、量り売りが基本だが、細かいことを面倒がる田村は、目分量で多めに肉を包んでくれることが多く「駅前スーパーよりお得」と、主婦たちに人気がある。
[7:00〜18:30]
コミネベーカリー
 店主・小峯寛美が、こだわりのパンを作り続ける店。もともとパン好きだった小峯が、8年前に脱サラし、パン屋を開業した。2年後独自の発想で創作したパンが大当たり。下校中の小・中学生が「コミネベーカリー」と書かれた袋を片手に公園に集まっている姿をよく見かけたものである。しかし5年前、トムのホットドッグ屋、ボブズピザなど、ライバル店が続々と登場。敵情視察におもむいた小峯は、どこよりもボブズピザの本場の味に衝撃を覚える。以来、ピザ屋に対抗すべく、新作のパンを作り続けている。
[7:00〜18:30]
ジュピトリス
 派手な刺繍をほどこしたヨコスカジャンパー、いわゆるスカジャンの専門店。2年前から雇われている店主の鶴岡紀之は、アウトレットの雰囲気を出そうと、わざわざ内装をはがして、そのままスカジャンをつるしているのだが、店があまりに古い木造の一軒家なので、狙いは見事に外れてしまった。しかし残念ながら鶴岡本人は、そのことに気づいていない。
[10:00〜20:00]
マリー商会
 「スカの男のシンボル」と言われたワッペン作りの技術と伝統を守る誇り高き職人の店である。定番デザインはもちろん、オリジナルオーダーも受け付けている。創業は古く、大正12年。現在の主人・糸井武吉は、先代の技を受け継いだ2代目である。
[10:00〜20:00]
クリタ
 米軍の放出品を中心に、モデルガンやナイフなども扱っている。店主の栗田士郎のミリタリー趣味が高じて始めた店なので、ツボを押さえた品揃えはマニアの間でも評判である。それだけに栗田自身、自分が欲しいものを安く仕入れることだけ熱心で、あまり商売には熱心でない。しばしば勝手に店を閉めて、仕入れの旅に出たまま半年近く帰ってこないこともある。
[10:00〜21:00]
世界旅行社
 「親切でていねい、任せて安心」と評判の旅行会社。ドブ板におよそ似つかわしくない、こぎれいな外観だが、そこが客たちには安心と信頼のポイントになっている。店長の篠田は「信用第一」をモットーに、楽しい旅行を提供できるように業務をとりおこなっている。
[9:00〜20:00]
HotDog
 トムが店を開く時に全財産をはたいて作ったカスタムカーである。かなり古い中古車を買い取ったため、小型のプロパンや発電機、食材を積み込むと最高速度は40キロ前後しか出ないという代物である。車内にはトム特製の手作りピクルスなどを入れた小型の貯蔵庫もあるが、その中には怪しげな食材もあるという。ちなみに車に貼ってある「おいしよ」の文字や、ピエロのマークなどはすべてトムの手書きである。
[8:30〜24:00]
魚吉
 店のそばを通りかかると景気のいい「らっしゃい、らっしゃい」という声が聞こえてくる。ギャンブル…特に競馬をこよなく愛する魚屋の主人・野田信吉の元気な声は、ドブ板商店街の名物の一つである。先代によって開業された「魚吉(うおきち)」はつねに新鮮で安く、おいしい魚をドブ板中の台所に提供し続けている。開業から数十年経っているが、その新鮮さと安さは、時代が移っても変わることなく、愛されている。
[7:00〜8:30]
ウォータードラゴン
 横浜に本社を持つ、衣料専門店の横須賀支店。8年前、ドブ板で営業を開始。仕入れを担当している辰巳竜次が、外国から直接買い付けをしているため、個性的な品揃えとなっている。が、あまりにもマニアックなためか売り上げはよくない。
[10:00〜20:00]
骨董文化堂
 創業30年を誇る老舗の骨董屋である。1階が店で2階が住居となっている。大石自身は全国各地の掘り出し物を探して留守にしていることが多く、孫の西沢良子が店番をしていることもある。大石は趣味で歴史の古い文献なども集めており、まれにどこかの流派の武術書が、置いてあることも…。ちなみに表の看板は、書道の心得のある巌に新たに書いてもらったものである。
[10:00〜22:00]
ホクホク弁当
 「いつもホクホクの温かさと、おいしさを」をモットーに開業された弁当屋。店主・沢野絹代のお袋の味は、地元の独身男性の熱狂的な支持を受け、今年で創業11年目を迎える。長女・ひさかの助けもあり2〜3年前から港で出店も始めた。優しく、働き者の長女のおかげで、ホクホク弁当は売り上げを倍に伸ばしているという。妹の麻衣も、こづかい稼ぎとしてたまに姉を手伝い、配達役を買って出ている。美人親子(?)の弁当屋には、いつも男性陣が長蛇の列をなしている。
 美人姉妹なら解るが…。(笑)
[10:00〜20:00]
トマトマート
 3年前、それまでの「藤間酒店」がコンビニエンスストアになった。深夜、酒やタバコを求める酔客を当てこんだのだが、思いのほか日中の客の入りがいい。バイトの女子大生・平野美奈子1人に店を任せ、主人の藤間は店に出ないのが良かったらしく、彼女会いたさに来る男性客が多い。現に店番がシェンムーいち冴えない近藤君と交代する深夜と休日は売り上げが落ちているという。半年前には2号店として、新横須賀港の構内にも出店を果たした。こちらの店番の評判も今一つだとか、そうじゃないとか…。
[24時間営業]
宝ずし
 ドブ板には少々似つかわしくない江戸前の寿司屋。本店は築地にあり、ドブ板の「宝ずし」は8号店である。主人の久米田充は生粋の江戸っ子で「本物の日本の味を外人さんにも食べさせてえ」と、のれんわけして開店。1周年を迎えようとしている。小ぶりだが、新鮮で美味いネタは、外国人客のみならず、地元の人にも評判である。
 菊池優理子は毎日来てくれる御得意様。
[11:00〜21:00]
八百勝
 店主の名前が青井勝だから八百勝だと思っている住人が多いが、実は逆である。ギャンブルでまとまった金を得た先代が、それを元手に「商売でも必勝」を祈願して始めたお店が八百勝だった。願いどおり商売は繁盛し、やがて子供ができると「この子も…」という願いをこめて勝と命名されたという。こうして2代目の勝ががんばる八百勝だが、ギャンブルの才だけは親から引き継ぐことができなかったようで、いつも負けては妻の良江に怒られている。
[7:00〜18:30]
フラワーセンターアイダ
 ドブ板の中央にある花屋。昔から町の住人や、バーの利用客に愛されている店である。店自体はかなり古くからあり、明治生まれの会田トキが経営している。実際は孫娘の原崎望が店を切り盛りしており、彼女目当ての客も多いとのもっぱらのウワサである。
[7:00〜22:30]
アジア旅行社
 八百勝の裏にある、少々古ぼけた旅行会社。5年前に開業したが周辺の店にあいさつもなく、商店会の会合にも参加しないため、地元住民とのつきあいは、まったくといっていいほどない。開店当初は、ものめずらしさで訪れた客たちも、店員の態度と対応の悪さに嫌気がさし、だんだん離れていった。今では、客が来る様子もなく、開店しているのいないのか、外から見ただけでは判断できなくなっている。
[10:00〜20:00]
本田薬局
 ドブ板唯一の薬局。店舗こそ小さいが、品数は豊富で、医者の処方箋も受け付けている。ここに薬局ができ、本田宗一が店長として訪れたのが4年前。それまで、医院はおろか、薬局もないドブ板に、本店の社長が目をつけ、開店にいたった。以来、地道に営業を続け、良くも悪くもない営業成績を収めている。
[10:00〜20:00]
ハットリスポーツ
 ドブ板商店会会長の服部守が営むスポーツ用品店。体操服や運動靴をはじめ、各種の学校指定用品も取り扱っている。店主がスポーツ好きで特に野球を支持するだけあって、野球関連の道具は豊富。プロ野球の人気選手と同型のグローブやバットなども扱っているため、選手のファンが遠方からもよく店を訪れる。
[7:00〜18:30]
味壱
 陽気で仕事熱心な陶多吉、林夏の中国人夫妻が営む中華料理屋。その本場の味は、地元ドブ板だけでなく、遠方からわざわざ足を運ぶ、熱心な客も多く見受けられる。父親の商会で海を渡って弟子入りした王だが、よく出前をサボるというクセがある。そんな彼が、最初に覚えた日本語が「マイドー」であることから、店主の陶が接客態度に厳しい人物であることがうかがえる。
[10:00〜21:00]
大三元
 ドブ板で唯一の雀荘。店主の浅田実は、凄腕の雀士として、その道では全国的な知名人だった。店名も彼の得意な役満の大三元から来ている。だが、最近は難しい麻雀を覚える若者も少なくなり、客足もさっぱりである。人気回復のために全自動卓を購入したが、それでも客の数は増えず、経営はかなり苦しいらしい。
[12:00〜5:00]
Heart Beats
 飲み屋街の、とある細い路地の先で開業しているバー。接客態度や店の雰囲気はもちろん、客のガラもよくないため、地元の人間は敬遠し、近づこうとしない。そんな客たちだが、マスターの波戸良文には尊敬と畏怖の念をもって接している。もめごとが日常のドブ板だが、ことハートビーツ店内にかぎっては、波戸の目が光っているかぎりケンカざたは起こらないからである。
[10:00〜18:00]
KNOCKING
 涼が「オヤジさん」と親しく呼んでいる小野五郎のバイクショップである。開店して5年ほどだが小野のこだわりのチューニングが評判を呼び、現在では注文が殺到している。そのため、小野もフル回転で常時、何台か同時にバイクを修理しているが、その数が途切れることはない。バイカーたちにとっては有名な店であり、ある種、ドブ板の名物店である。
[10:00〜21:00]
スロットハウス
 ゲームセンターと並ぶ、ドブ板の数少ない娯楽施設である。7年前にオープン、3年前から三塚孝文が店長になった。「以前は、もっと活気のある店だった」とは、商店会会長の談である。ここでコインをある枚数以上集めると、様々な景品がもらえる。
[10:00〜24:00]
スナックリンダ
 現在の店名になったのは3年前から。折原浩之と林京子の2人がこの店をやるようになってからである。1階が店で2階が住居になっている(六畳と四畳半二間)。それ以前も別の人間がスナックを開業していたが、5年前に閉店。しばらく空き店になっていたところを折原が安く借り受けた。店内の内装なども前の店からあまり手を入れていない。訪れる客は、もっぱら折原のなじみ客で、地元の住民は、あまり姿を見かけない。
[18:30〜5:00]
Bob’s Pizza
 横浜・横須賀に大規模な店舗展開をしている、大手ピザチェーングループの横須賀7号店。5年前にグループ会長での娘婿であるマリオが開店。同じチェーン店でも、他では味わうことのできない、豊富なオリジナルメニューが売りである。
[17:00〜4:00]
パブ カラオケ NANA
 1年前に開店したばかりの新しい店。妙に明るい雰囲気のネオンが目印。以前は古い焼き鳥屋が営業していた。こじんまりとした作りなのはそれゆえである。ドブ板で数少ない「健全娯楽施設」だが、繁盛の本当の理由は、ママである篠原奈々子の特製「肉じゃが」だという説も…。
[19:00〜4:00]
満福軒
 女店主・山本順子が、ひとりできりもりしているラーメン屋。飲み屋街の中心にあるため、ほろ酔い加減の客がよく「仕上げにラーメン」を食べにくる。メニューこそ少ないが、スープの味では、味壱と充分勝負できるほど。だが、店主の順子は新しいメニューを増やそうと日々、努力をしているという。カレーラーメンがお勧めらしいが、メニューにはない。通向けなのか?
[17:00〜4:00]
岡山ハイツ(タトゥショップ)
 外国人たちが好むファッションタトゥを横須賀でも、という需要から、タトゥ(イレズミ)を専門にする店がドブ板に何軒か現れた。しかしブームも下火になり、今では岡山ハイツを間借りする高城隆史の店、一軒を残すのみである。高城の店も経営は決して楽ではないが、確かな腕を見込んで訪れる固定客に支えられている。薄暗い部屋の中、ステンドグラスの傘のついた電灯(裸電球)だけやけに目立ってとても綺麗。
[14:00〜24:00]
バーYOKOSUKA
 アットホームさがウリのお店。ドアを開けると、バーテンの西条、ママの湊ヨーコ、ホステスの佐藤アケミが暖かく迎えてくれる。そんな雰囲気が商店街の人々に愛され、夜の社交場になっている。そのため、ここに来れば町のうわさを集めることができるかもしれない。ちなみに福原は、アケミにぞっこんというのがもっぱらのウワサである。
[17:00〜3:00]
MJQ
 米軍向けのオシャレなバー。常にジャズが流れている店内では、バーテンの平井武史が相手をしてくれる。ここは静かな雰囲気を楽しむ所なのであまり騒ぎ立てる客はいない。奥にはビリヤード台が置いてあり、ネイビーたちが賭けに興じている。たまに店に来た客が、賭けビリヤードに誘われることも…。
[19:00〜4:00]
ファニーベア
 最近、開店したハンバーガーショップ。テイクアウトもできるが、よくメニューが変わるため、常連客は少ない。売り上げは低いが、立地条件の良さから学生たちの待ち合わせ場所としてよく利用されている。
[10:00〜20:00]
ラピス
 女性雑誌でも有名な占い師・イシス桜木の館。ドブ板を館に構えた理由は、星の力を最大限に反映できるためらしい。お守りなどの販売はせず、占いのみ。的中率が高く値段も安いため、女子高生の間で人気となっている。
[10:00〜24:00]
陶器屋ロシヤ
 店舗そのものは20年前からあるが、ここが陶器屋として開店したのは、つい半年ほどである。「日本の方々に良い陶磁器を、安く提供したい」という店主・夏秀玉の考えから開店された。ロシヤであつかう陶磁器は、すべてアメリカ、イギリスに住む友人を介して買い付けられる。60歳を迎えたばかりの夏にとって、直接、現地へおもむき、交渉することは、体力的に困難であり、それよりも信頼できるパートナーに任せる方がコストの面でも、安く済むからである。
[10:00〜2:00]
ウォータードラゴンvol,2
 古着屋「Water Dragon」の姉妹店として、4年前に開業したジーンズ専門店。ビンテージからニューデザインまで品揃えが豊富。その上、店長・赤坂和夫の丁寧な接客の甲斐あって、売り上げは、常に支店の中でも上位である。
[10:00〜18:00]
永井興業
 横須賀一帯の賭博などを取り仕切っているのがこの永井興業である。イレズミをしている男たちがよく出入りしているため、住民からは怒られているが、ここの主である永井明は、最後の侠客とも言われるほど仁義を通す人物であり、普通の人に手を出すことはない。最盛期は50人を超す大所帯だったが、現在は永井に心酔している3,4人を残すのみとなっている。
[13:00〜24:00]
劉・理髪店
 劉紀佑、劉恩鈴の中国人夫妻が営む理髪店。ドブ板には理容マエダと2軒も理髪店があるが、劉理髪店の方が安くて早いという評判で、少々優勢である。中国人で言葉が通じないのではと不安に思われているのが残念だが、実際、横須賀生まれの横須賀育ちの夫婦は、中国語より日本語が得意という華僑の2世である。
[14:00〜24:00]

横須賀新港・網浜町
 横須賀、海の玄関口。港自体は米軍横須賀基地のサポートとしての役割が強く、独特な雰囲気を醸し出している。エリア的にはかなり広大で、倉庫群が立ち並ぶので視覚的に迷いやすい。だが、港のあちこちに設置してある掲示板や、道路にペイントしてある倉庫ナンバーと矢印を目印に利用すればスムーズに動けるだろう。
新港中央
 港の奥まで行けない大型トラックなどが駐留する場所。ここで荷物が搬入され、横浜を中心とした各地域へと運ばれる。夜になると不良たちのバイクテクニックを競う場所に変わり、騒音の元となっている。
バス停
横須賀交通のバス。新横須賀港〜ドブ板間は、片道160円。料金は前払いのため、当然のことながら運賃をごまかすことはできない。深夜は営業されていないので時間帯には要注意である。運営に関しては、重要な交通手段として市民の声が厳しいせいか、きっちり時間通りの運行をしている。
港湾食堂
 港湾労働組合が管理する食堂で、委託を受けた調理師の丸山富が1人で運営している。組合からの補助金のおかげで、メニューはどれも安くて、ボリュームがある。しかし、健康管理に気配りする丸山の味付けはどれも減塩、薄味気味で若い作業員たちにはあまり評判がよくない。コンビニで弁当を買って、丸山とおしゃべりしながら食堂で食事する不届きな者もいるが、心が広い丸山は怒ることもなく、気さくに言葉を返してくれる。いつもそれほど混雑していないが、丸山と彼女を囲む労働者たちの笑い声で、雰囲気はいつも温かい。

 メニューは
・Aランチ、Bランチ 400円 ・チャーハン 350円
・おうどん 350円 ・おそば 350円 ・中華そば 350円
・海軍カレー 500円 ・ゆでたまご 50円
となってますが、はたしてハラロンを直接買えるのでしょうか?
[9:00〜20:00]
港湾休憩所 (トマトマート)
 港湾労働組合が管理する共同施設で、ベンチと卓球台が並ぶだけのセコい遊技場だったが、若い作業員たちからの要望で、最近、内部にコンビニエンスストアのトマトマートが開店した。女性が少ない港内において、派手な風貌の店員・山下マリはどうしても目立つ存在となっている。当然、言い寄ってくる若い男も多いが、山下の風変わりなキャラクターに圧倒され、たいてい男の側から引いてしまう。最近、休憩所内にはダーツゲームが設置されたが、はやりのスペースハリアーやハングオンをいれてほしいという若い作業員たちの要望が高まりつつある。だが「休憩所はゲームセンターにあらず」という組合幹部の意見もあり、これ以上、にぎやかになることはないであろう。
 大抵こういう場所にはカップラーメンの自動販売機があるものだが、無いのが不思議。
[9:00〜22:00]
アルファ貿易事務所
 港でも1,2を争うほど盛況の会社。雇用に関しては外国人にも開かれており「開かれた会社」として新聞に紹介されたこともある。ただ、上層部と現場の意識のズレが問題となっており、中間管理職の矢田亮蔵が頭を抱えている。
 事務室にジュークボックスを置いてあるという、なかなか遊び心がある所。しかもフォークリフトの荷物1個運ぶ毎に最高600円という太っ腹の賃金、その後潰れていないか心配です。
 事務員として加山梓が働いている。
造船所前
 新横須賀港での造船所は、漁船を中心とした小型船舶の建造が中心である。ただ、折りからの不況のため現在建造中の船はない。見晴らしがいいため、港の作業員がよくここで昼食をとっている。
ガントリークレーン
 業界最大手である寺島重工によるもの。新倉庫街の建設とともに設置されたが、現在、使用されることはあまりない。10年前の特撮番組でよく登場したため、昔を懐かしむ人や、そのテのファンが撮影に訪れたりしている。
玄風丸
 日本と香港を結ぶ貸客船。横浜で成功した華僑の人々によって、中国人が気軽に里帰り(もしくは出稼ぎ)できるようにと手配された船である。そのため、中国の人はタダ同然で乗ることができる。ちなみに荷は旧倉庫街から運ばれている。
建設現場
 展望タワー建造予定地だった場所。だが、推進派の市長が落選。反対派の立候補者が当選したために計画は頓挫してしまった。現在は手つかずの野ざらし状態にされている。立ち入り禁止区域だが、そこを逆に利用して、不良たちが溜まり場としている。
新倉庫街
 現在、港のメインで使用されている倉庫街。フォークリフトの通行を考え、道幅は広く設けられている。だが、そのせいで夜には暴走族などの溜まり場としても利用されるようになり、問題となっている。実際に事件も数多く起きており、警察の一斉取り締まりが検討されているらしい。
第1倉庫
 家庭用品などが保管されている倉庫。ここは複数の会社が共同で利用しているため、トラブルが絶えない。1社だけが利用できるように、整理する話も上がっているが、立地条件の良さから各社とも手を引く態度を見せていないという。
第2倉庫
 食品関係専門の倉庫。主に輸入された果物などが保管されている。食品関係の荷はデリケートなため、フォークリフトの運転が上手な人が担当している。ここでの運搬が任されて、はじめて一人前のフォーク運転手になると言われている。
第3倉庫
 この倉庫には主に野菜などが保管されている。以前は果物倉庫だったが、グルメブームのあおりを受け、外国の珍しい野菜を保管するようになったという。倉庫全体が冷蔵庫のようなため、中はひんやりと冷たく、夏にはこの中で涼んでいく作業員たちもチラホラいる。
第4倉庫
 各種さまざまな香辛料が保管されている倉庫。ここに入ると、コショウなどの一種独特な匂いが身体につくため、フォーク作業員の間で嫌がられている。そのため、ここへの荷物の運搬は、新米フォーク作業員が担当にまわされることが多い。
 鍵がかかる時間までは涼が特訓出来る場所になっています。
第8倉庫
食器や家具などが保管されている倉庫。よく旧第8倉庫と間違われるため、各倉庫会社の事務所が設けられている。以前、ホームレスが勝手に住んでいたことがあったため、現在は警備が厳しくなっている。
第12倉庫
 車両部品が保管されている倉庫。ただし、設計工程の段階でコスト高や、不要と判断されたものが保管されているため、運搬などはほとんど行われていない。時々、新しく不要とされた部品が人の手によって運ばれるのみである。
第13倉庫
 素材が合成樹脂の工業製品の保管場所。荷物としては特殊なものが多く、傷がつきやすいため、取り扱いには細心の注意が払われている。倉庫番号が「13」のため、不吉な倉庫として外国人作業員はここでの作業を嫌っているらしい。…し、しかし港で働いている人はアラブ圏の人が多いような…。
第14倉庫
 稀少鉱物が保管されているが、管理がずさんで荷主がいつも気をもんでいる。船からの搬出は目の前のガントリークレーンを使用している。船は夏頃に帰港するので、冬は倉庫からの搬出のみである。そのため港の不良たちの溜まり場になっていることが多い。そのことも荷主を心配させる原因になっている。
第18倉庫
 新倉庫街も手狭になったため急きょ、建てられた倉庫。ここには最近、新しい産業として注目を浴びているアミューズメント関係の荷物が保管されている。ただ、ここを借りている企業の責任者は新参者のためあまり港との常識を知らず、そのせいで作業員からは評判が悪い。
旧倉庫街
 新横須賀港、開港当時からある倉庫街。不規則な増設のため、内部はかなり入り組んでいる。港の大規模な区画変更の際に、取り壊される予定だったが、華僑のとある大物実力者が多額の金で買い取ったため、計画は寸前で棚上げになった。私有倉庫が多いため警備がことのほか厳しく、関係者以外、立ち入り禁止となっている。
旧1倉庫
 いまだに利用されている倉庫。旧倉庫街の中でも一番古い倉庫である。主にアンティークや高級食器などが保管されている。以前、泥棒が侵入して荷がまるごと盗まれてしまったため、警備員は特に念入りに、巡回している。
旧第2倉庫
 以前は穀物などを取り扱っていた倉庫だったが10年前の地震で死者が出たため、現在では閉鎖されている。警備員の間では、この倉庫の付近で幽霊が出るとのウワサが立っており、巡回するときは警備員も自然と早足になるらしい。
旧第4倉庫
 香辛料などを取り扱っていた倉庫。現在では物置代わりになっているため、この付近ではなんともいえないイヤな匂いがする。以前この倉庫にホームレスが住んでいたことがあったため、警備員の巡回コースとなり、毎日厳しいチェックがなされている。
旧第6倉庫
 名目上、米軍の所有となっている倉庫。20年前までは武器倉庫として使われていた。現在では全く使用されていない。倉庫内は閑散としており木箱やコンテナなどがたまに置かれるだけで、かつての武器庫だった面影はまるでない。
旧第8倉庫
 陳大人と貴章のいる倉庫。美術品の倉庫として使用されているが、国外への持ち出しが禁止されている文化財の密輸入品が密かに保管されているという。当局の目をあざむくためか、ダミーの美術品もさりげなく保管されており、素人目には判別できないようになっている。陳大人は、この他いくつかの港に倉庫を所有しているが、この倉庫は貴章が管理をしている。
旧第9倉庫
 老朽化が激しく、現在は倉庫としての使用が禁止されている。だが、旧倉庫街の中央にあるため無断で資材などが保管されている。港関係者も便利なので黙認している。
旧第10倉庫
 旧倉庫街の中では比較的小規模な部類に入る倉庫である。以前は搬入搬出用の運搬機材が保管されていたが、現在は老朽化のため、耐久性に問題があり使用されていない。近々取り壊される予定で、資材もほとんど置かれていない。

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