0083はガンダムとは程遠い作品


★『機動戦士ガンダム0083はウソ0830』★
 1991年3月から1992年8月まで、OVA(オリジナルビデオアニメーション)の第2弾として発売された「富野由悠季」監督作品ではない、「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」は「ガンダム」と名付けられて、その後に出された書籍等で、まるでガンダムワールドの歴史の一部の様に扱われていますが、0080同様、正統なガンダムの作品における歴史・設定と照らし合わせて見た場合に矛盾点が多すぎる作品なのです。
 まず、好き嫌いでこういう文章を書くわけではないです。まあ、好きか嫌いかで言えば嫌いですが…。(苦笑)
 0083の絵のレベルは非常に高いし、演出面でも実写を凌駕している部分もあると思います。アニメーションとしての位置はトップレベルの作品です。(当時においても、今見ても)
 ですが、0080以上にこの作品をガンダムとして見ていく事に大きなストレスを感じてしまいます。結局既にある他者の作った人気のある時代やMSに頼り切っているものでしかないですし。
 設定面も含めてどのような点がおかしいのか、順に挙げていきましょう。
(この文章は1991年〜93年頃某所に載せるために書いた文章を基本として、一部を追加・編集したものです)

■こちらのページは「0080」「08小隊」「リアルってなんだろう?」と併せて読む事をお勧めします。

 【2005/4/24】
 途中の追加、補足

トップページガンダムメニュー

□モビルスーツ(MS)の設定、デザイン等
 0083には、所謂MSV(モビルスーツバリエーション)みたいなものがたくさん登場するのですが、その全てが「ガンダム」〜「Z」のデザイン、性能を大きく外れた物ばかりで、とても歴史の一部とは考えられません。

・ジム
 ジムというMSは「ガンダム」に出た後ジムIIと呼ばれる改修機として登場します。外観に大きな違いは無く、性能にそれほど違いはありません。しかし、地球連邦軍はもちろん、エウーゴでさえも「ジムII」を非常に多く使っています。これは、UC0087頃まではずっと「ガンダムに登場したあのジム」を生産を続けていくだけで十分だった事を示しています。外観に関しては「ZZ」「逆襲のシャア」におけるジムIIIにまで継承され続けました。(中身は別物の様ですが)
 ところが、この0083には、部品、デザイン、性能さえ違うジムに似せたMSモドキがゴロゴロしています。戦争の無い時代にいちいち外観のモデルチェンジまでしてお金を使う事をケチの連邦軍はゼッタイしません!1年戦争当時にでも旧式と言われていた「サラミス」でさえマイナーチェンジを繰り返し、「F91」のUC.0123、さらには「Vガンダム」のUC.0152においてまで使用している様な軍ですよ。まあ、そんな0083には何故かやたら流線型にモデルチェンジされたサラミスが登場してますが…。(苦笑)
 ですから、0083におけるインフレのごとしジムのデザインバリエーションはあまりにも不自然なのです。バリエーションを出すとしても「Z」にも登場した「ジム」と同一部品で出来るジムキャノンやジムスナイパーカスタムなんかで済ませるのが最も自然じゃないでしょうか?
 ましてや、一度デザインを替えてから再び「ジムII」のデザインに戻すのは解せません。
 後から適当な説明を付けてもっともらしくしていますが、既にある作品の間を埋める以上、それを守ってこそ、作品をより良い物に出来るんじゃないでしょうか?ましてや「ガンダム」なわけですし…。

■地球連邦軍が量産型のMS、艦船を使用した年数
現役使用年数 外観の変化
ジム4年以上? 外観はほぼジムIIへ継承
ジムII4年以上? 外観継承のマイナーチェンジ
ジムIII5年以上 基本外観を維持したものの中身は別物
ジェガン30年以上 武装や装備の違いで基本的に同じ物
ヘビーガン30年以上局地的に簡素にマイナーチェンジ
サラミス(改)タイプ70年以上 改からの外観はほぼ固定
(中身は徐々に別物に)
クラップタイプ60年以上 派生型はあるものの大きな外観変更は無し
ラー・カイラムタイプ60年以上外観はマイナーチェンジのみ、色々な場面で旗艦として利用
 これは、富野さんの宇宙世紀のガンダムのシリーズにおいての、地球連邦軍の使用MS、艦船においての考え方がよく解ると思います。
 とにかく「デザインにお金を使いたくない」「有事が無い限りMSの開発なんかする必要はない」という連邦軍の考えが一目瞭然です。
 つまり、地球連邦軍が(量産型)MSや新型戦艦等の開発に力を入れたのはティターンズ結成後であり、ティターンズ主導の元による時代だけです。これは設定資料や公式年表には出てこなくても富野監督の宇宙世紀のガンダム作品をきちんと見ていたならば解る明白な事実です。そうすると「0083」を始めとしてOVAにおける連邦軍のMSはあまりにも意味のない(外観の)フルモデルチェンジ機が多すぎるとは思いませんか?

・ガンダム各種
 存在自体が不思議なだけじゃなく、その性能も信じられないくらい高いものがあり、誰もが妙に思う筈です。
 「デンドロビウム」などは、デザインをしたカトキハジメ氏が言う様に「とにかくデカクて強いガンダムを出そう!今までMAみたいな大きなものはみんな敵のものだったけど、ヒーローが乗るMAを出そう!」と、あり得ない物を、単に派手でいかにも面白そうな話を作るために出していいものなんでしょうか?

・ノイエ・ジール&ヴァル・ヴァロ
 これ、アクシズが作ったとか……。
「Zガンダム」時において、ガザCの様な作業用MSの発展型を主力機としているくらいのアクシズが、こんな時期にこれほど高性能のMAを完成までさせてしまう力があるのかどうか甚だ疑問。名前や風貌が、いかにも「α・アジール」がこれを元に作られた様にしておくのも非常にイヤらしい。
 他にも1年戦争当時の物という事でヴァル・ヴァロというMAも登場も登場するのですが、あえて新型を出す事があったのでしょうか?
 どうしても、変わったMAが出したいのであれば、多少量産されたビグロに、グラブロの腕でも付けた物でも出した方が現実味が高く、ジャンク屋という設定を活かし、さらに画面的な面白さが出た様な気がします。
□「機動戦士ガンダム」「Zガンダム」の歴史的事実(設定)との矛盾
 確かに0083で描かれている抗争や事件のようなものは全てとは言わないまでもあったと思います。しかし、その描き方に問題があり過ぎるのではないでしょうか?
 その最もたるものがコロニー落としです。
制作者は、あの時代に無い筈の事を、ほぼ話の盛り上げのためだけに、「こうすれば話が面白くなる」的な考えでやったのです。
ちょっと、作品と作品を繋ぐ作品としてはあまりにもやりすぎです。
 GP-02Aが使った核弾頭にしてもそうですが、「Zガンダム」においてアポリーが言った「核は南極条約以降使っちゃいない筈だ!」という言葉と矛盾しています。アポリーはシャアの直属の部下ですし、エウーゴ内においてもそれなりに名の通ったパイロットです。ですので、もし核を使ったのであればその事実を知らない筈がありません。
 存在の怪しいMSやこれらの事件どころか、戦争について、0083作品内で「歴史から抹消された」様なことを言っていますが、これは制作側にとってあまりにも都合の良い免罪符でしかないです。
 0083を「ガンダムとZガンダムの間を全て矛盾なく埋めた作品」という評価をしてらっしゃる方もいます、或いは「自由度が低く、狭い作品」という評価をしている方もいます。が、本当にそうなんでしょうか?結局は話の盛り上げのため、新型MS、コロニー落とし、核爆発、あまりにもやり放題としか思えないのですが…。

□作品自体の評価&感想
 最初に書いた様にこの作品、絵のレベルは高いし、見入ってしまう部分も多いです。しかし、一般的(ある種のガンダムファン的)に評価を受けている部分は『ガンダム』としてではなく『戦争MSアクションアニメ』としての評価としてではないでしょうか?個人的にそう思います。
 まず、人物面でいうなら、あまりにも魅力の薄い主人公、コウ。職業軍人にしてはうすっぺらいし、後半はもう私怨だけで闘ってる感じで、何か見てて怖いです…。
 一応、ヒロインと言われているニナですけど、これも各所で言われている様に「こうすれば面白くなる」的の後付け設定の極みともいう、ガトーとの恋仲…。ちょっと作品制作の姿勢として問題があるのではないでしょうか?。(苦笑)

 で、そのガトーや、デラーズですけど、まあ、確かにこれら主人公を始めとした連邦側の人間と比べると、十分な魅力を持ったキャラクターですが、連邦兵より、ジオン兵の方が人間味があって、感情移入しやすいっていうのは「機動戦士ガンダム」でたくさん描かれていたので当然と言えば当然です。
 で、このガトーやデラーズが、元ギレンの部下で、ギレンを崇拝しきっている所にやや疑問を感じてしまうのですが……。

 ジオン公国の兵士がどうして人間的に魅力があるかと言えば『理想』を持っているからです。特に末端の兵士になればなるほど純粋でしょうね。それはその兵士達が、ザビ家のジオンというよりも、ジオン・ズム・ダイクンの掲げた「ジオン」を目指しているからです。
 デラーズやガトーって本当理想に燃えてるんですよねえ。見てて、ザビ家よりもジオンの理想そのものを大事にしてる様にしか見えないんですよ。デラーズなんて見れば見る程、何でこの男がギレンについているの?って感じですよ。
 あえてもっともらしい説明をつけるなら、ギレンのカリスマに挽かれるあまり、盲目的になりすぎたとしか思えないです。そうなると魅力は一気に薄れますね。本当に盲信し過ぎで怖いです。

 むしろドズルとかなら多少は納得出来るんですけどねえ。
□押し付け的なリアリティ
 話をMSに戻しますが、大抵の方はこの「0083」に登場するMSを『リアルだ』『本物っぽい』と思われているのではないでしょうか?

 どうしてなんでしょう?
確かに、最初の「機動戦士ガンダム」に登場していたMSよりも線が多く、関節部品の処理など細かかったりしてますよね。そうすれば、確かに現代の兵器等と比べたりした場合、凄く「(本物)らしさ」が出て来るのは頷けます。

 でも、ちょっと考えてみて下さい。
「SF作品」や未来を舞台にした架空の世界という物は一度ついた嘘を最後までつき通す事で、その世界内の「リアリティ」が保たれていくと思うんですよね。
 0083等のOVAシリーズのMS全ては「現代のリアル感覚」の押し付けの基にデザインされた物でしかありません。それも既にあるデザインに書き加えたり、少し形を変えたりしただけであって「創造」されたものではありません。このように最初からあるデザインに何かを追加したりして「よりリアルだ」などと言う様な事は小学生でも出来ます。

 例えMSのデザインが1979年当時の物と全く同じであろうとも、演出と描き方次第それを本物らしく魅せる事はいくらでも出来ます。
 御存じでしょうか?
富野さんは、全てのガンダム続編において、かって登場させたMSを決して変に手を加えたりせず、そのまま登場させている事を。
 ザク(ボルジャーノン)にしろ、ゲルググにしろ、全て「機動戦士ガンダム」登場時と全く変わりありません。
 MSの手も、より人間の手に近い処理の施された物ですし、関節部品に至るまで所謂「ファーストガンダム」そのままです。
 これは、このMSデザインこそが、この(ガンダムの)世界でのリアル(真実)という事を示しているのです。

 ガンダムのゲーム等で1年戦争のMSが0080&83の物に置き換えられるという事を「0080」のページで触れましたが、これに対する制作側の言い分は『古くにデザインされた物なので、そのまま使うと動きも当時の様に古くなる』そうで、演出という物が一体どういう物なのかも解っていない様子でした。

 例え、一番最初に出た物が現代の目から見て玩具的に見えようとも、当時の制作状況により詳細が省かれていようとも、それが全ての基準です。SF作品においては、それを最後まで続ける一貫性こそがリアリティなんじゃないでしょうか?

□年表に項目が増える度、世界はさらに狭くなる
 公式年表だ、サンライズが作ったからと、どれもこれも「ガンダム」として認めて「正史」なんて事にしてしまうのは如何なものなんでしょか?
 見る側がきちんと判断していかないと、いつまでも「必要のないガンダム」は作られ続け、公式年表だとか呼ばれる物に余計な事が書き込まれていくことでしょう。まあ、もはや、その公式年表にすら何の信頼性もありませんが……。
 そう言った点では、「Gガンダム」「ガンダムX」など、所謂「宇宙世紀」を離れた作品の方がよっぽど魅力は大きいです。
 ガンダムという名に頼ってはいるものの、作り手が、より自分の作家性を出せますし、歴史に迷惑もかけませんしね。(笑)

 とは言え、今「∀ガンダム」という作品がある以上、これ以上ガンダム(特に1年戦争近辺の物)という作品が増える必要はもはや無いです。
(あ、「F91」をしっかり完結はさせてほしいけど…)

 続いては「08MS小隊」についてです。

トップページガンダムメニュー