この作品「機動戦士ガンダム 第08MS小隊」は、まさに「機動戦士ガンダム」の時間軸と同時に進行している設定のお話として描かれています。それも局地戦を扱う事で、より軍事的リアリティーと戦記物の雰囲気を出しつつ、個人の話を描くというコンセプトの物語です。
まあ、それだけならば良いとしましょう。
しかし結局やっている事は「こんなMSがあったことにする」「こういう歴史があったことにする」「0080や0083の辻褄を合わせやすくする」等々、「機動戦士ガンダム」のストーリーさえ否定するような愚行でしかないです。
「08小隊」はガンダムのTV14話「時間よ、とまれ」に登場したクワラン曹長率いる部隊を例に出すとわかりやすいでしょうか?
それを連邦軍の小部隊に置き換えてスポットを当てた話です。
しかしこの08小隊は、クワラン曹長に比べると何と恵まれた部隊なことか、見かけからしてもガンダムと言ってもいいMSが何機も配備され、ましてや既に何度も実戦済み、それもガルマ国葬時のギレン・ザビ演説前と言うから哀しくなってきます。
こういう状況は「機動戦士ガンダム」において登場したキャラクターの行動原理や台詞の全てさえ妙に感じさせてしまうのです。
何故歴史(ここで言う歴史とは公式年表などという下らない物ではなく「機動戦士ガンダム」という作品(フィルム)が語る全てです)をねじ曲げてまで他のガンダムや新しいMS等を出す必要があるのでしょう?
他のOVA、MSV等それらを正当化しやすくするために他なりません。バンダイ(サンライズというよりは…)が映像化さえすれば、それが全て真実になり、オフィシャルという言葉により守られ、誰もがそれを当然の様に受け止めてしまう様になるからです。
そして、やはりそこには人気の高い1年戦争周辺にMSを増やしたい、そのプラモデルを発売したいという思惑が見え隠れします。
「見せてもらおうか、連邦のMSの性能とやらを」
「ええい!連邦のMSは化け物か!」
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ガンダム相手にシャアがこんな言葉を発していた頃、当たり前の様にジム(もどき)やガンダムもどきが普通に配備されていた事に…。
(上記台詞と08小隊スタート時は20日弱程度しか離れてません)
他にも「08小隊」のこの設定を受け止めてしまうと、ガンダムの話の中で発っせられた台詞の至る所で歪みが生じてしまいます。
こんな小隊とやらにガンダムもどきをたくさん配備して見せようとするためだけに歴史をねじ曲げなければならないのであれば、こんな作品必要ありません。
再びクワラン曹長の例を挙げますが、彼らは、あるだけの貧弱な装備ながらもガンダムを最も窮地に追い込ませるような戦いをしました。
そのまま、これを逆手に取る様な演出を魅せる作品だって良いでしょうに、どうしてそんなに「MSvsMS」の構図を求めようとするんでしょうね?
確かに序盤のボールを使ったザクとの戦い等を含め、「クワラン曹長的戦い」のエッセンスを感じるものは多いですし、そういう物には好感も持てます。
が、最初の状態で無理にガンダムを登場させている時点で、そういう要素すらも結局は空しくなるのですよねえ。
61式戦車で華麗に戦いなさい!(笑)
仮に全てを許容したとして、この「機動戦士ガンダム 第08MS小隊」という作品はそれほど嫌いでも無いです。0083に比べれば…。
ガンダム劇中でそれほど活躍機会の少なかったMSへの着眼点や、その運用方法など、興味深い部分も多いです。
物語自体もやろうとしている事は好感が持てます。BGMや歌を含めた音楽もなかなか好きです。が、中途半端に感じる点も多く『?』と疑問を感じてしまうのも確かだからこそ、勿体無いですねえ。
【部分追加】2005/4/5
よく、この08MS小隊の評価や感想等で主人公シロー・アマダの軍人としての資質みたいなものをあげて「こんな軍人おかしい」という感じに評価を下げている場合もあるようですが、個人的にはそういう点での違和感はないです。
そもそも、それぞれ個人の性格の問題ですし、こういったフィクションで『軍人の鑑』みたいなキャラクターを主人公にするのは難しいと思います。
「0083」のコウだって、ほぼ敵の戦力になるのが解ってるMAを自分の気持ちの整理のためだけに修理の協力をしてますし。
後日談的な「ラスト・リゾート」、話自体は良いと思うのですが、ここでフラナガン博士及び「フラナガン機関」という、「機動戦士ガンダム」の物語にも大きく関わる様な事に触れるというのは、ちょっと深入りし過ぎです。
まとめ
OVAの三作品に関して色々と感想、評価、矛盾、苦言色々と書いてきましたが、これらの意見に賛同して下さいという事ではなく、こういう見方もあるという物として読んで頂ければ幸いです。
これ、あたくしがどんな説得力をもって何を書こうとも、バンダイやサンライズが制作し、仰々しい公式年表なるものにもきちんと載ってますので、これらはガンダム世界においても真実なのでしょうし、「〜にちゃんとした理屈が載ってる」「〜〜に説得力ある解説が…」とか言われたら、こちらとしても『じゃあ、そうなんでしょねえ』と返すしかないです。
どんな作品作ろうが、どんなMSを作り出そうとも、「公式設定」として何行かの文章設定を作ればいくらでも辻褄は合いますから。1ファンがどうこう言おうとそれは揺るぎません。
でも、もしも、ガンダムの宇宙世紀、しかも一年戦争という物に意志があったなら、こう言うんじゃないでしょうか?
「き、君達はいつまでガ、ガンダムの一年戦争をいじめたら気が済むんだぁー!!」
※某大阪府元知事が残した言葉より(笑)
OVA3作品や、ゲーム、コミックも含めて現在まではとにかく数え切れない程のガンダム関連のサイドストーリーが作られています。きっとこれからも作られ続けるでしょう。
(公式、非公式を問わず)
やはり、スポンサーあっての作品ですし、実際「ガンダム」というものは商売になるでしょうから、それは止むを得ないのかも知れません。ただ、これ以上『(特に1年戦争近辺の)宇宙世紀の話』に固執するのはいい加減やめて頂きたいですね。ファンがそれを望むのもどうかと思います。
よくあるのが「機動戦士ガンダム(ファーストガンダム)をリメイクしてほしい」というものですが、今そんな物が作られようものならどんなに恐ろしい物が出来るか考えて下さい。
MSは中途半端な現代的リアリティのOVA寄りのデザインにされ、人間的な自由度溢れる格好良さは消え、とにかくこれまで出た作品のMSVを無理矢理登場させ、物語は他OVAとの辻褄合わせに終始し、どさくさに紛れて新型MS(MA)が登場、あげくの果てにアムロが後半に新ガンダムに搭乗なんて事にもなりかねませんよ。(苦笑)
そう、PS2のゲーム「めぐりあい宇宙」みたいな世界観をそのままアニメにされかねません。(笑)
玩具屋主導で毎週違うロボット(怪獣)が登場する子供向けロボットアニメを否定して、新しい作品性を打ち出したガンダムに、今や毎週違うモビルスーツ(バリエーション)が登場してもおかしくないくらいの数のメカが増殖(1年戦争周辺で)してしまったのはとても皮肉な話だとは思いませんか?
誰が増やしたんでしょう? 何体までなら許せます?
Zガンダムに「重力に魂を引かれた人々」という言葉が出てきますが、今のガンダムファンは殆ど「1年戦争(という虚像)に魂を引かれた人々」です。
今現在、制作側にとってもファンにとっても1年戦争は、掘り返せば新型MSや新しい歴史が出て来る都合の良い『マウンテンサイクル』になってしまっています。
封印しましょうよ〜。
次はOVAによって捻じ曲げられてしまったガンダム世界(特に1年戦争時)の「リアル」について書いています。
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