腰ミノよりもパンツの方がよくないですか?(笑)

★リアルってなんだろう?★
 基本的大前提として「ガンダム」はリアルな話なのではなく、リアリティある話です。しかし「ガンダムの作品内」で描かれた事は作品内のリアル(真実)として大きな基準となるべきなのです。それを最後まで貫き通す事が結果的にリアリティに繋がるのだと思います。
 最近それが覆されていく危惧を個人的に感じていますので、以下にまとめています。色々な意見もありましょうがぜひ最後まで読んで頂けると嬉しいです。

■こちらのページは「0080」「0083」「08小隊」と併せて読む事をお勧めします。

 2003/12/12 部分的追加
 2005/4/5 部分的追加補足

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MSのデザイン
 0080から始まった「ガンダム」と名乗るOVAシリーズにおいて登場するMSのせいで、ガンダム世界におけるリアルやリアリティがどんどん曲解されていっています。
 これは第一に、現代のミリタリーファンや、プラモデルのファンが好むリアリティであると言えるでしょう。現代から見た非常に判りやすいリアリティです。

 この論法で行けば、「蓄音機はリアルでCDはリアルじゃない」「T型フォードはリアルでフェラーリテスタロッサはリアルじゃない」「16ミリカメラはリアルでハイビジョン撮影カメラはリアルじゃない」……etc。
 つまり、想像も出来ない性能がコンパクトに入っている物や、デザインが洗練され過ぎている物等、現在の感覚から見て理解しにくい様な物は「リアルじゃない」となるのだと思います。

 それでOVA等において「機動戦士ガンダム」に登場した最初のMS群をあれこれ付け足したり書き加えたりする事で「現代から見たリアリティ」として満足するのでしょうが、これは根本から間違っているのではないでしょうか?

 ガンダムやザク等のMSが「機動戦士ガンダム」という作品で発表された以上、あの世界ではあれがリアルの基準です。凄く遠い未来ですし、現代のリアルを当てはめ様もありません。
 0083の項でも触れましたが、富野監督自身、この基準を崩していません。後の作品に一年戦争時のMSやメカ等を登場させる事は多々ありましたが。決して、OVA風の「現代から見たリアリティ」に書き直した様な物は出さず、飽くまでも本来の形の物を出し続けているのです。
 別にモビルスーツの事を指している訳じゃないですけど、富野さん自身が以前語っている事として、こういう言葉があります。  
「一つの作品とは様式(フォルム)として整っていなければならない。これは作品を成立させるための最低限の条件である。アニメーターが違うから、各話によって演出が異なるからという制作条件を口にするのは作品の送り手(作家)として根本的に禁句なのである」
 まさにこういう事の実践なのだと思っています。
 ガンダムがリアリティ溢れる物語として認知されたのは、こういう事を守れる監督が作っていたからなのでしょう。
 ネジが多くて関節剥き出しのMSが戦うからでは無いのです。

 【補足】
 ただ、「機動戦士ガンダム」に登場するかなりの数のメカのデザイン(※)をした富野さん自身は、とにかく「機動戦士ガンダム」に登場したMSは『関節も何も曲がらない、リアルでもなんでもない』という事を言っています。それをリアリティある物に引き上げたのはやっぱり演出ありきでしょう。
 結局中途半端に現代のリアリティを入れても、後から見れば見る程古くさくなります。流行語ばかり出てくる様なドラマを後から見る様なものです。(笑)
※ゼロからの大まかなメカデザインやキャラクター原案等をしたのは富野監督自身で、ラフの段階が今ある設定画と殆ど変わらない物も多いです。大河原さんや安彦さんがそれを基に設定画として完成させました。

・ガンダム世界上でのデザイン意識の変化
 Zガンダム以降のMSデザインは、ほぼ間違いなく、プラモデルの発売を前提、プラモデルにした際に可動しやすく、色々なポーズが取れる様な工夫をしたために、「ガンダム」に登場するMSとは大きく解釈が違っています。
 例えば、
・手の部品⇒人間的な手から機械的で角張った手に
・腰のアーマー⇒パンツから腰ミノ的に
・間接部品の処理⇒間接保護、綺麗に塗装から間接剥き出し別塗装に
・ボディーの処理⇒エステ帰りの様な処理から実用的一辺倒に
 これらは結果的にはプラモデルのためのデザイン意識の変更ではありますが、ガンダム世界(ワールド)のリアルに照らし併せて考えると以下の様な解釈が出来るでしょう。

 モビルスーツをそこまで丁寧に作る必要を感じなくなった。

 もうこれに尽きるでしょう。つまりMS誕生直後の1年戦争時には、まるで工芸品のごとく、とてつもなく丁寧にMSを設計、生産していた事になります。
 そう考えるとすると、途中までの生産だったジオングの二の腕の間接が剥き出しになっていたのも何となく頷けます。
 逆に、初のモビルスーツであるザクI、つまり「旧型ザク」のデザインをよくご覧下さい。これほどシンプルで、機械っぽさを感じさせず洗練されているモビルスーツが他にあるでしょうか?
(参考までに当ページのプラモデル展示ページちょこっとモビルスーツ3より旧ザク)
 元々作業用に偽装するためだったとはいえ、ザクの開発者がいかに外観の処理に拘っていたかが解ると思います。もしもその人が、後の「グリプス戦役」以降のMSを見たら、さぞかし嘆いた事でしょうねえ。「組み立て途中か?これ…」と。(笑)
 どうして丁寧に作るのをやめたか?
それは、ザク登場時の圧倒的な最強兵器だったものがビーム兵器の小型化等により、 ほぼ『破壊される事が前提』の兵器になったからです。そうなればZガンダム以降の手の部品を退化した安い物にするのも、動力パイプや間接部品を露出させるのも全て納得がいきます。

 「あのデザインでは足がここまでしか曲がらない」「あの手で持てるのか?」とか思ったあなた。それは、たかだか1/100や1/144の大きさに過ぎないプラモデルに縛られすぎていると思いませんか?
 例え、腰ミノの様な腰部品じゃなくても、きちんと間接が曲がるシステムが見えない部分でしっかりと出来ていたと考える方が自然なんじゃないでしょうか?
 例えば、昭和初期の人にCDを見せたとします。これに音楽が入っているなどとは夢にも思わないでしょう。そしてこう考えます。
「溝が無い」
 音楽は溝の入ったレコードじゃないと録音出来ないという固定観念があるからです。今、身の回りにある技術や仕組みは信じても、自分の理解を超えたテクノロジーは嘘にしか見えないものだと思いませんか?
 おそらくは200年は未来であろう「機動戦士ガンダム」の世界に現代のリアリティを持ち込み過ぎると、しばらくするとかえって滑稽なものになってしまう筈です。ある程度の「超科学」というものを残しておくことが重要だと思います。

 話をガンダムに戻しますと、
確かに初期の作品は作画力による表現の稚拙さはあります。でも、登場したモビルスーツやメカのユニークでシンプルなデザインは、古さなどではなく大きな魅力だと思うのです。それは「機動戦士ガンダム」という作品の虜になった皆さんが一番ご存じの筈です。
 しかし、最近のOVAやプラモデル、ゲーム等々を送り出す側、そしてそれを受け入れる側のファンは、むしろその逆で、素晴らしいデザインを否定し続け、このプラモデルのためのデザインこそがアニメにおける「真実」であったかのように押し付けていっていると個人的に思うのですが、皆さんはどう感じていらっしゃるのでしょうか?
 単に現代の技術力で生産出来るプラモデルにしやすいデザインをアニメ用に置き換えているだけなんです。そのためだけにオリジナルのデザインが亡き物にされつつあります。
 MSのデザインやプラモデルのスタイリングについてネット等でよく見られる言葉で「現代風にアレンジ」「今風の」なんて書かれている事をよく見ますが、それって結局、『今』だけの物でしかないんじゃないでしょうか。
 今の状況をまるでデザインそのものが進化した様に思っている人が多いと思いますが、これは「玩具」が進化しただけの話であって、デザインとしては退化しています。現代の機械感覚で理解しやすい物へ引き寄せてるだけです。

 マジンガーZやゲッターロボ等の、所謂スーパーロボットのデザインを「あれはリアルじゃない」とゴチャゴチャと部品を付け、腰もパンツから腰ミノになり、手も角張ったものになったりしたら……、それってカッコイイと思います?(笑)
(主観の相違もあるでしょうが)
 「いや、それはスーパーロボットだからあれでいいんだ」と言う方もいるかも知れませんが、「ガンダム」だって同じなんですよ。ちょっとばかり表現の仕方が違うだけで、そもそもアニメという媒体なんですから。

 やっぱりオリジナルのデザインは大事にしてほしいんですよ。

 「(特にバンダイの人などが)あのデザインは古いから…」
という理由をよく聞きますが、古くちゃ駄目なのですか?
 「機動戦士ガンダム」が世に出て、劇場版が完結するまでの間のプラモデルを含めたブーム、おそらく現在までを通しても最も熱狂的だったんじゃないでしょうか?
 その人達が好きだったモビルスーツは、TVであり、映画に登場したデザインの物に他ならないでしょうに、今、かなり別物となった物(MS)を提供している(されている)というのは実におかしな話です。
 ディテールを掘り下げるだけならともかく、シルエットやフォルムまで変えられるのはやっぱり変ですよ。

 上記の様な理論だと、
「ルノワールの絵はピントがぼやけてるから輪郭強調しよう!」
「ミレーの絵はトラクターを登場させた方がより農民っぽいね」
「ダリの絵の中の時計、デジタルにした方がいいんじゃない?」

 こんな事にもなりかねません。(笑)
もちろん、絶対にしちゃいけない事ですよね?
いや、あるとするならばそれは「パロディ」に近い物としてしか存在を認められないのではないでしょうか?

 まあ、もしも実写映画にしようというのであれば、全面的にデザイン変更をするのもよいでしょう。ただ、結局これまでガンダムはアニメーションという枠の中で生きてきています。
 その中においての基準は守るべきなのではないでしょうか?
最近はゲームも含めて、3DCGで表現する事も多くなりましたが、3DCGまでもがプラモデルのためのデザインに準拠する必要ってあるのでしょうか?
 3DCGで、本来のシンプルな格好良さを追求する描き方っていうのも見てみたいですけどねえ。

 今後少しでも「ガンダム」内の本来のモビルスーツのデザインというものが見直される事を強く願うばかりです。
 無理にZガンダム以降のMS基準にしてしまう理由なんて全くありません。
(ガンダムのプラモデルのHGUCシリーズという物は比較的オリジナルデザインを尊重したもので良いのですが、それでさえ1年戦争のMSほぼ全てが間接部品や手の部品の色がグレーで表現されていたりするのは不満ですね)


 余談
 もしもガンダムファンに「人型の巨大ロボットをデザインして下さい」というお題を出したら、95%くらいの人が腰部品を『腰ミノ』にするんでしょうねえ。(笑)
 プラモデルのお蔭でデザインの没個性という弊害が起こってそう。

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